宮本百合子
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人公論」
1937(昭和12)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
宮本百合子
さらに他方には、東京の巣鴨にある十文字こと子女史が経営している十文字高等女学校では、十文字女史の息子が経営している金属工場の防毒マスクの口金仕上げのために、昨今は自分の女学校の四年と五年の生徒の中の希望者を、放課後二時間ずつ働かせているという事実がある。女史は往訪の新聞記者に向ってこう語っている。「別に大した労働でもなく、こまかなやさしい仕事です。私もかねて皆に仕事をするということは自分をつくり上げることだといって教えていますが、子供たちも仕事をする気分を味って、朗らかに働いています」そして、巣鴨の学校から志村のその工場へ通うバス代と別に「相当した賃銀」を出していると語っている。
十文字女史によって子供たちといわれている娘も、女学校の四五年とあれば、もう女工としては十分に一人前である。毎日の二時間で、若い娘たちはどの位の口金仕上げをするのであろうか。賃銀はいくらなのだろうか。それらについては語られていない。ただ、これらの女学生であり女工である娘たちは、その労働で貰う「相当の賃銀」を「大抵は学資の一部にあてている」のだそうである。校長先生の息子さんの経営で軍需インフレで繁栄している工場へ働いて、貰ったいくばくかの金を再び学校で、その阿母さんに払うのだとしたら、それらの可憐な女学生女工の二時間の労働というものの実質は、どこでどのように支払われたということになるのだろう。微妙深刻な形で、娘たちの家庭の苦しい経済事情と、時局国民精神総動員の声と、経営的手腕が複合して識者の眼に映ることは避け難い。教育当局が、若い女性に堅実な実務教育を希望しているのは事実であろうが、あながち十文字女史の方法を必ずしもよしとはしないのではあるまいか。
女学生の工場への動員は大阪でも行われている。二つの女学校の五年生が、このせつのしきたりにしたがって○○と書かれている工場へ、一週に一度ずつ交替に手伝いに出かけている。一つは市立の女学校であり、この場合の性質は、学校の経営的な原因より、むしろはっきり、戦時的認識を若い娘心に銘させようとする意味に立っているのである。
どの新聞雑誌を見ても、銃後の婦人の力の実質が、この頃は生産拡充への直接間接の参加というところに重点をおかれており、常に欧州大戦当時の欧州婦人の活動が引きあわされている。「今から女工を養成して置くように」という言葉は、すでに去る五月杉山陸相によって提言されていたのである。